なにごとも"経験"とは言うけど。僕はこの1ヶ月「経験しない」ということを"経験"した。
大宮という場所が実は東京ではないということを自覚し始めた福岡人のひぐです。
「インターンなどで経験を積もう」「東京でいろんな価値観にふれよう」
そう意気込んでやってきた東京(大宮)ですが蓋を開けてみれば目に見える形でできたことというとなんにもなくって。
だからといって自分にとってこの1ヶ月は無駄なんかじゃなかった。今、何していいか分からない、どんな経験が良いのか分からなかったそんな僕だからこそ分かったことは確かにありました。
そもそも"経験"ってなに?
経験[名](スル)
1 実際に見たり、聞いたり、行ったりすること。また、それによって得られた知識や技能など。「―を積む」「―が浅い」「いろいろな部署を―する」
2 哲学で、感覚や知覚によって直接与えられるもの。
goo辞書によると上記のように書いてあります。
これって誰でも当てはまりませんか?当てはめようと思えば当てはめれるんです。
誰しも24時間という時間が万人に与えられていて、そのなかで何かしらを「実際に見たり、聞いたり、行ったり」しているんです。それを
自分の知識や技能にできるかどうか。
結局そこが大事であって、そのために大事なのはどれだけ自分が置かれた環境下で自分ごとになって取り組めるか、ただそれだけだと思います。
"経験しない"を経験できた1ヶ月
今までは自分が一生懸命取り組める環境に身を置きさえすれば良いと勘違いしてた。だから自分が一生懸命になれる環境を探してた。でも、東京に来てその考えは違ったなと。
いろいろな人と話すうち、日常にも学びの種はごろごろ転がっていることに気づきます。かっこいい人たちは自分で環境をつくっていることに気づきます。もはや考え方が経験を左右していることに気づきます。そんな多くの気づきがあったという点では、僕は"経験しな"かったのではなく、目に見える形で経験を残せなかっただけなのだと感じました。
とはいえ、人生初のひとりヒッチハイクや4月の北海道での野宿、ブログだって初めて、第一次残飯首脳会議(よく言えばサルベージパーティ)や本をたくさん読んだり、トイレに引きこもってみたり、自分と向き合ってみたり、何より色んな方とお話できた。
案外おもしろい経験したなあ笑
(北海道で撮った写真。F値とかの意味がわかるようになったり。)
悩むのは自分への言い訳
ここからは自戒の意味も込めて。
悩むのって自分の内ではなくて外に原因があると思ったときに発生するものだと思う、ということでそれは自分への言い訳なんですね。
この1ヶ月、自分自身くよくよ悩んでました。でも、どこの環境にいっても結局は自分次第であり自分がその経験にどのような意味づけをするかが大事だとわかった今は、悩んでるということが勿体無いように思えました。
悩むことは時間とエネルギーの無駄。ただ、考えることはやめたらいけない。
悩むことと考えること
悩むのは外に原因をつくってできない環境にくよくよすること、考えるってのは内向きに原因を捉えて今ある環境でどうしたら自分の理想に近づけるかを追い求めることだと思います。
というわけで最終的には
考えろ。(笑)